ここでは、イギリスの大学との比較という観点から、日本の高等教育機関の特徴と将来とるべき方向を概観してみます。ここで、私が大学と言わずに、わざわざ「高等教育機関」と呼んでいるのには、理由があります。それは、旧制高校の存在です。みなさんも聞いたことがあるかもしれません。とてもいい本があるので、読んでください。秦郁彦『旧制高校』文春文庫2003年です。旧制高校は戦後の教育改革の中で消滅しましたが、学生の年齢(17~20歳)、教育レベル、教師(教授と呼ばれた)のレベル、どれを見ても、現在の大学と同等以上です。私は旧制高校復活論者ではありませんが、それが果たした機能を何らかの形で復活させないと、日本の大学の将来は無いと思っています。スーパーサイエンススクールや国際卓越大学(院)をいくつ作ってもだめです。この話は、また後でします。先述したように、1992年の法律によってイギリスの大学は量的、質的にそれ以前と根本的に変化した。これを仮に大衆化(民主化)とよぶならば、日本は既に戦後(1949年)の新制大学化によって先取りして経験している。このホームページを読んで、イギリスの大学への留学を志している人は、1992年以降に大学になった、いわば新制大学は念頭にないだろうから、1992年以前の大学と日本の旧制高校および旧制大学を比較してみたい。旧制(アンシャン・レジーム)同士を比較して何の意味があるのか、と訝る読者が多いかと思いますが、私はここを比較しておかないと、日本の大学が将来何を目指すのかが見えてこないと考えます。1992年を境にイギリスの旧制大学は、グローバル競争の中に本格的に参入しました。イギリスの新制大学もグローバル競争に算入しましたが、教える科目や研究レベルが全く違います(特に理系と医学)。それに対して、日本の大学は戦後すぐ新制大学に移行した際に大衆化し、その後の高度成長の中で大学進学率が上昇したため、日本人学生だけを対象とする教育と研究を行ってきた。「日本人の日本人による日本人のための大学」が、国公私立の別なく共通目標となった。そして「偏差値」だけが残った。確かに、大学間には、歴史、規模、研究水準(「売り」の分野)の点で大きな差があります。しかし、大学入学時の偏差値で社会は判断・評価するので、教育には差はありません。大学生は入学時の学力が一番高いという「うわさ」がかつて流れていましたが、最近、国家公務員試験の「総合職」に「教養区分」という枠ができて、この「うわさ」は「真実」になりました。なんと、この試験は大学2年生の秋に受験できます。入学してわずか1年半後です。企業の内定ないし内々定もこれと同時なのかもしれません。明治維新以来、日本は「最良の人材」をつねに政府が青田刈りしてきましたからね。しかし、それもできなくなりました。一方、文系の学問に関してはラボが不要ですので、研究者の水準と偏差値は対応しません。イギリスに倣っていっとき研究評価を導入しましたが、いまはそんな時代があったことすら忘れ去られました。そもそも、日本の大学には外人が参入できない(参入するほどのインセンティブがない)ように「事実上」なっているので、教員間の競争も英米(中国やインドも?)にくらべれば、穏やかなものです。研究費獲得のための補助金(科学研究費など)は増加しましたが、海外のグローバル企業が出している研究費(bid)を、日本の大学がどれほど海外の大学と競争して獲得しているでしょうか?「国際卓越」を日本国内の大学競争に用いる点で、もう最初から勝負を避けているのです。では、どうするか。戦前に戻って考えましょう。1877年の東京大学創立以来、戦前には約70年の歴史があり、戦後と大体同じです。戦前でもすでにグローバルな高等教育機関は存在した。それは何か。実は大学ではない。旧制高校である。先述したように、旧制高校は最盛期(定員の最大時期)でも、約40校、わずか6000名。これは現在の東大と京大の定員合計数である。旧制の大学の総定員よりはるかに少ない。とはいえ、旧制高校も大学も原則男子だけなので、現在とは比較できない。1870年頃から女子の大学入学を認め始めたイギリスに比べても遅れは甚だしい。日本の高等教育の貧弱さは、実は女子教育の遅れが根本原因かもしれない。潜在的には能力が同じ人間のうち半分しか高等教育のチャンスを与えなかったのだから。本当に「もったいない」。私は、イギリスの大学学士課程進学は、男子より女子に強く勧めたい。教育水準および学力水準を戦前と現在で単純比較はもちろんできないし、する意味はない。重要なことは、各高校学校の規模(一学年最大は一校の400名、平均は200名~300名、私立は100名弱)と教員のレベルの高さである。また、外国人教授が外国語を教えるときに用いた教材の質の高さである。西洋における古典語教育が日本に導入されなかったのは残念であるが、その代わりに徹底した英語、ドイツ語、フランス語、そして漢文教育が行われた。戦後の新制大学でいかに外国語教育がなおざりにされたかを、前田陽一『アメリカ大学巡り』大修館書店1961年は、実体験をもとに語っている。ただ、ここで「語学」だけを切り取って議論するのは誤解を招く。重要なことは、旧制高校の語学の教師(教授)の質と読まされた本の質の高さである。学生は語学によって言語のみならず内容(文学、哲学、歴史)を同時に学んだのです。特に外国人教師(教授)の影響は大きい。教育においては、結局のところ、教員のレベルの高さに生徒は影響される。とくに、能力の高い生徒ほど能力の高い教員によって飛躍的に潜在的能力を開花させる。いずれにせよ、旧制高校の教育をきちんとうければ、海外(英米)の伝統校に進学できたのである。戦前から戦後すぐの時代に、オクスブリッジやハーバード大学に進学した日本人はいるのである。戦前に世界最速を誇ったアジア号(南満州鉄道)は広軌だったのである。さて、旧制高校を現代に復活させると、さしずめ「リベラル・アーツ教育」となろうが、私はこれには反対である。なぜなら、「リベラル・アーツ教育」の中心を数学と物理(およびギリシア語、ラテン語)にする大学が日本にあるであろうか?戦前でも現在でも、重点は理系なのだ。日本の優秀な(専門)大学はやはり数学、物理、化学が強いのである。では、現在、それをどこに求めるか。私は現在の大学ではなく、高等学校(新制)の中に求めたい。最近は高校の中に学位(Ph.D.)を有する教員を抱えているところがあると聞く(おそらく、数学、物理、化学であろう)。今後、どんどん採用していただきたい。ただ、彼(女)らの能力を活かす場が、日本の大学入試問題だけというのは本当に「もったいない」。また、彼らも研究をしたいのである。給与を上げるだけでなく、サバティカル制度も導入してほしい。たしかに現状では、私の主張は夢物語かもしれない。しかし、ここに進学先として海外、特にイギリスが入ってくると話は変わってくる。日本の難関大学入試問題のレベル(数学、物理)は、イギリスのAレベルよりも高いと聞く(文系科目は、そもそも比較にならない)。それならば、数学や物理は日本の高校教育を活用すればよい。もうお分かりのように、難関大学入試問題演習を行う高校2・3年と予備校は、旧制高校にあるていど匹敵するのだ。問題はそれ以外の科目をどうするか。これは、日本(人)では無理である(少なくとも現在は)。これを補うのが、ZoomないしTEAMSによる教育なのである。但し、良質でなければ意味がない。もちろん生徒は英語で授業を受ける。現時点の私のアイデアは、「ヴァーチャル旧制高校」である。良質な新制高校(先生と生徒)と(外国人教師による)Zoom授業の組み合わせ、これによって進学先にイギリスという選択肢を入れる。もちろん、日本の大学を目指して勉強してよい。しかし、海外を排除する必要はない。では、日本の大学(旧制)は今後どのようにすればいいのであろうか。イギリスへの大学進学をすすめる筆者には関係ない問題と言われそうだが、決してそうではない。なぜなら、医学部や法学部のように職業教育(vocational)と密接に関係する学問においては、まず日本の大学に進学するのが得策である。ただし、海外の大学卒業後日本の大学に『学士入学』する方法もある。また、法学教育は、(法)学部教育とは制度上切り離された(また元に戻りつつあるが、もう手遅れである。高校卒ですぐ司法試験に受かる次代なのだから)ので、海外で何か別の勉強をしたあとで、日本の弁護士資格をとればよい。Zoomで受験勉強できる時代なのだから。ここで私が日本の大学に関心があるというのは、日本人を含めて世界中から優秀な人材を引き付ける魅力のある研究・教育機関として日本の大学が何をすべきかという点である。そのためには、まず教育を英語で行うこと(もちろん全教科を英語でやる必要はないし、やるべきでもない。但し、原則は英語である。)。次に、戦前に大学であったところは、その原点に帰れということ。そうすれば、おのずと自分の大学がどの分野で勝負すべきかということが見えてくる。では、その勝負すべき専門分野以外の教員は何をなすべきか。換言すれば、学士課程の教育は誰が、どのような学生を教えるか。私は、基本科目(数学、物理、化学、文学、哲学、歴史、文学など)に帰るべきだと思う。この地平にたてば、先述の優れた新制の高校やZoomによる海外の教員との協働という可能性が開けてくる。もちろん、ここではコンピュータ・サイエンスも教えられる。そして、英語で教えられる。私のイメージにあるのは、専門大学(大学院)と密接に関係を保った、小規模の(毎年200人程度入学。文系理系の区別なし)College(オクスブリッジとは違う)です。原則3年制で、4年目は世界中の大学院に進学する。こんな感じです。1991年、「大学教育の大綱化」により、戦後ながらく続いた「教養課程」と「専門課程」の併存が撤廃され、「学士課程」に一本化された。しかし、同時に予算拡大を目的として大学院部局化が並行して進められた結果、学士課程の一本化の問題は、二の次になった。さらに21世紀に入り、国立大学の法人化や法科大学院はじめ専門職大学院(Professional School)の設立など次々に書類作成(行政事務)が増え、学士課程の問題はほぼ忘れ去られた。この時期に、私は鈴木佳秀先生と一緒に「教養教育の再構築」という学術振興会の人文社会科学振興プロジェクトを担当しました(2003~2007年度)。その成果は『これからの教養教育―カタの効用―』東信堂2008年から出版されました。このプロジェクトは故石井紫郎東大名誉教授の発案で実現しました。石井先生は、上記の大学院部局化をはじめとして、1990年代以降の日本の高等教育の改革をリードされた方です。昨年、惜しくも亡くなられましたが、先生を偲ぶ有志の方により追悼論文集が出る予定です。また、戦後の大学改革の生き証人というべき大崎仁氏の編になる『戦後大学史―戦後の改革と新制大学の成立』第一法規1988年という本は、いまでも絶対に読まなければならない本です。旧制高校を失った穴は新制大学を増やしても、決して埋まらないということです。埋まらないどころか、グローバル競争という視点からみれば、穴は拡大したと言えます。実は興味深いことに、旧制高校はアメリカ軍が潰したのではなく、日本人自身が消去したのです。しかも、戦前にもう廃止論は出ているのです。旧制高校とオクスブリッジのコレッジをパラレルに考えるのは、たしかに荒唐無稽です。しかし、社会から批判を常に受けるという点では似てます。でも、前者はたった60年で消滅しましたが、後者は800年たっても死んでいません。なぜでしょうか。