これまで、tutorialについて説明してきましたが、そこから大きく脱線して法科大学院や資格試験の問題まで論じてしまいました。でも、授業に対応した「tutorialが無い」ということが、これらの問題の根本原因であることを、みなさんに伝えたかったのです。専門(専攻)の厳格ささて、イギリスの大学と日本の大学の大きな違いの二つ目は、専門(専攻)の厳格さの点です。戦前の日本の大学も、イギリスと同じく3年制(医学部は例外)で、まさしく専門一本でした。たとえば法学部、医学部、理学部数学科、工学部機械工学科など。また、単科大学たとえば東京商科大学(一橋大学)、東京工業大学、新潟医科大学なども存在しました。要するに大学に入って何を勉強するかが極めて明確でした。これに対して、戦後の大学改革で、日本の大学は4年制になったかわりに、そこで何を学ぶかの輪郭が極めて不明確になりました。いわゆる教養課程と専門課程の異なる二つの課程が混在したからです。この混在は1991年に制度上廃止されましたが、実際には今なお残存しています。例えば現在でも日本の大学生は全員英語を履修しなければいけません。不思議ですね。大学の専門の授業では英語など全く使わないのに(全部翻訳ですます)。これに関して、戦後日本の大学はアメリカのリベラル・アーツ教育の影響を受けたためにこのようになったのであり、幅広い教養を学ぶことはよいことだという考えが、一部の人に根強くあります。私には反対です。幅広い教養は大学で科目として学ぶものではなく、違った専門の友人や先生との交流から生まれるものだと思っています。専門知識の無い(純粋の)教養というのは一体何なのでしょうか?中身が全くありません。専攻が厳格に決められていることは、イギリスの大学入試制度にはっきりと表れています。イギリスの大学に進学する際、志願者は必ず志望する専門分野を特定して記入しなければなりません。イギリスの全大学に共通のコードが設定されています(詳しくはUCAS=Universities and Colleges Admissions Serviceを見てください。Law, Economics, Mathematics, Physics, などのように一目瞭然の専攻もあれば、Classics, Classical studies, Classics and Italian等々のようにきめ細かく設定されている場合もあります。Classics Classical Studiesの違いは、自分で調べてみてください。似ているようですが、決定的な相違点もあります。ただ、の大学に入学しても同じ専攻であれば、大体同じ内容の教育が受けられます。試験についても、各大学の卒業試験には、学外委員が必ず関与し、大学間のレベルをできるだけ一定に保とうと努めています。一方、日本では、医学部、歯学部、薬学部などごく少数の例外を除いて、同じ学部、同じ専攻といっても、その教育内容やレベルは大学により、また担当教員により、ほとんど比較不可能なほど異なります。したがって、日本では、大学卒業者の能力を専攻およびその卒業成績によってではなく、大学入学時の偏差値で推定する慣習ができたのです。文系と理系(の区別)という「ウソ」ここで、文系と理系(の区別)という「ウソ」について説明します。日本では高校(2年)生から大学入試に向けて、クラスまたはコースを文系・理系に分けるという慣習があります。この文系と理系という看板(概念)は、日本だけで通用する「嘘」です。自然科学、工学などが理系であるのはよいとして、文系に含まれている法学、経済学、商学、また(文学部の中に含まれることが多い)社会学、心理学、考古学、地理学などは本当に文系でしょうか。イギリスの大学では哲学を含めて、これらの分野は純粋に理系と看なされています。おそらく、日英共通で文系と見なされているのは文学と歴史学だけではないでしょうか。そもそも日本ではなぜ文系がこれほどに肥大化したのでしょうか。それには二つの理由があります。一つは旧制高校の存在です。戦前に存在した旧制高校は3年制(18から20歳の学生が通う、現在ではもちろん大学に相当)で、原則として、文科と理科に分かれていました。定員は理科の方が少し多かったと思います。全旧制高校の総定員のほうが、全大学の総定員よりもはるかに少なかった。したがって、旧制高校に通わず、大学に入学する人も多かったのですが、アカデミックなレベルの高い大学(旧帝国大学)や旧制の医科大学は、原則として旧制高校卒業者でした。そこで、入試に関してこの文科・理科という分類が戦後も残ったのです。第二の理由は、もっと社会的・経済的な問題です。戦前でも現在でも、地方から東京に出て大学に学ぶことが、社会的・経済的な上昇の基本パタンです(例外は戦前の軍隊)。戦前すでに多くの私立の大学や高等専門学校が東京に集中し、地方から来た勤労青年の多くは夜学で苦学して学びました。彼らは大変勤勉でまた優秀でした。しかし、私立大学はラボ(実験施設)をもつ余裕がないので(例外は私立医学校)、圧倒的に文系学部中心でした。この傾向が、戦後大学進学率の上昇とともに、私立大学ではさらに拡大し、文系という学問分野があたかも理系と対峙するかのような錯覚を与えてしまいました。何といっても、現在では全学生数の8割は私立大学生ですからね。数年前に、「国立大学(法人)の文系学部は廃止すべし。」という、とんでもない発言をした文部科学大臣がいましたが、この発言は、何重もの無知と誤解に基づく「残念な」見解です。第一に、「文系」と日本では呼ばれる学問や学部・学科は、海外では「理系」です。第二に、国立大学(法人)には、大臣ないし日本人が文系と見做す学部・学科はそれほど多くありません。多くの国立大学が有する教育学部が、まさか文系だという人はいないでしょう?まして、文学部の文学科や歴史学科は本当に少ない定員で、かつ予算的も小さな組織です。第三に、文系は私立大学に任せろと言っても、厳密な意味の文系では採算がとれないので、理系である経済学部、経営学部、商学部、そして文理中性的な法学部を抱えないと経営が成り立ちません。最後に付言します。入試科目としての「英語」は、果たして文系科目でしょうか?もしそうだとしたら、なぜ理系を含めて全大学、全学部で、英語は入試科目として必修なのでしょうか?日本の大学入試は科目の「合計点」で合否を決するのですから、英語がよくできても数学や物理があまりできない学生を入学させるアカデミックな大学はありますか?しかも既に述べましたように、大学入学後の教育で英語を使うことはほとんどありません。せいぜい、大学院レベルで、論文や口頭で研究発表するときぐらいでしょう。私は、日本における入試科目としての英語は、記憶能力一般と(学習)忍耐力一般のバロメーターとして使われていると思います。そしてあえて言えば、日本では学問的な、つまりアカデミックな能力と認められている翻訳力の。しかし、この最後の能力は、大学生の中で将来、日本で活動する文系の「学者」の要件にすぎませんから、大学生一般の選別基準として使われているのは、記憶力と忍耐力なのです。これは社会に出てからも、日本では決定的に重要な資質です。入試英語は努力が報われる(報われてしまう)科目であり、日本社会(会社、官庁など組織)で生きてゆく際に不可欠な従順な資質(上司の言うとおりする能力)を有するかどうかの指標となるものです。尚、日本の大学入試問題は日本の大学の先生方(「学者」)が作成するので、最後の翻訳力は必ず問われます。IELTSとTOEFLに代替されることはありません。日本の大学入試科目から英語が消える時、それは日本社会が変わることを意味します。ただし、私は英語を入試科目として不要であるとか、日本(人)の英語教育はだめだとうか、そのような考えは有しておりません。また最近は日本の英語教育も随分様変わりしましたので、断言は禁物です。ただ、イギリス留学のためにはIELTSは不可欠ですし、IELTSでも記憶力は当然要求されますので、IELTSも試験の一つとして採用してもいいのではないかと思います。とくに、IELTSは忍耐力よりも集中力を要求します。集中力はグローバル社会では非常に重要だと思います。翻訳力としての英語がどうしても必要だと考える大学(学部)は、別途、その試験を課せばいいと思います。英語についての問題は、入試問題ではなく、大学入学後、なぜ英語をもっと使った授業を行わないかということです。あれだけ受験生に勉強させておいて、入ってからは必要ないというのは、「詐欺」といわれても反論できません。大学教育こそ転換すべきだと思います。日本の理系についてこれまで、主として、従来日本で文系とされてきた学問分野について述べてきましたが、それでは、日本の、医学を含む理系の学問や学部には、何も問題はないのでしょうか?私は、理系の学問にいまでも興味はありますが、知識や経験はありませんので、これから述べることもあまり説得力はないでしょう。しかし、述べないわけにはいきません。私が、イギリスの大学で学士課程を送ってほしいと思うのは、文系よりもむしろ理系を専攻しようと思っている生徒・学生さんなのです。なぜなら、文系の学問の中には、日英で全く水準が違う分野(例えば、英文学や歴史、西洋古典学など)や、日本では学べない分野(例えば、法学=コモン・ロー)がありますので、私が勧めるまでもなく興味のある人は留学するでしょう。一方、大多数の日本人は、理科系の分野はその内容およびレベルにおいて、日英間でほとんど差がないと思っているので、「学士課程から高い授業料を払ってイギリスで学ぶする必要はない、せいぜい大学院から、多くの場合は、会社や研究所に就職してから(会社の費用で)留学すればいい。」と考えていると思います。実際、私の知人・友人の自然科学や医学の研究者は、学士課程における留学に対して、反対または懐疑的です。さらに、イギリス人の友人の研究者(自然科学)も同様の反応です。確かに、近代日本は「富国強兵」を掲げ、自然科学と医学の分野に全力を注ぎました。ノーベル賞日本人第1号の湯川秀樹博士の仕事は既に戦前になされています。しかしそれでも私は、理系の生徒・学生さんが優秀だからこそ、学士課程で留学してほしいと思っています。そして大学院やポスドクは、日本を含めて、各専門分野において世界最高の機関で研究すればいいと思います。私が学士課程こそ、そして自然科学を専攻する生徒こそ、イギリスに留学をした方がいいと考えるその理由は、いくつかあります。表面的な点から申しますと、第1に、英語環境で学習と研究ができること。いくら自然科学の分野の研究論文とはいえ、英文スタイルは重要です。もっとも、この点はAIが解決してくれるかもしれませんが。第2に、イギリスには世界中から学生や研究者が集まる点です。日本は現在の環境(日本語環境、給与環境)を抜本的に変えない限り、日本人(および若干の中国人)しか集まりません。第3に、これが最も重要な点ですが、科学と技術を分けて学ぶことができるという点です。これについては、かなり説明を要しますので、後述します。第3と関連して第4に、学士課程における専攻と卒業後のキャリアを分けて、柔軟に考えることができます。日本の法曹養成改革では当初目標の一つに掲げていたにもかかわらず、自然科学専攻の法律家(弁護士)はイギリスに比べて日本では非常に少ないです。また、数学専攻のコンサルや官僚も少ないです。なぜか?これは、日英では理学部のあり方に非常に大きな相違があるからです。イギリスの理学部は、その規模や学生定員が日本よりもはるかに大きいので、日本と異なり、多様な人材を育成します。第5に、自然科学専攻の学生と人文系の学生との交流がイギリスの方が活発です。これは、とくにコレッジ制をとるオックス・ブリッジで顕著ですが、他大学でも日本よりは活発だと思います。科学と技術の関係について日本ではよく「科学技術」という言葉が使われ、科学と技術、大学での理学部と工学部は、いっしょくたにして論じられますが、これは(少なくとも)イギリスでは考えられません。ほかの西洋諸国でもたぶん両者は区別して論じられます。なぜ、日本ではあまり区別されないのでしょうか?日本での理学部や工学部の中にいる人間には、両者は非常に異なることを自覚しているにもかかわらず。日本の近代大学制度の成立を振り返ってみましょう。1877年に東京大学が成立した時、高等教育機関は他にもありました。東京大学は発足時、医学部を除くと、残り3学部、すなわち理学部、法学部、文学部は、規模(学生と教師)も施設も本当に貧弱でした(特に文学部と法学部)。経済学部は大正期になるまで独立しておらず、政治学とともに文学部に含まれていました。それが10年たって大変貌します。1886年の帝国大学の成立です。まず、工学部ですが、これはもともと文部省管轄ではなく、工部省管轄の独立した機関でしたが、帝国大学の一翼を担う工科大学となります。医学部は医科大学に、理学部は理科大学、そして法学部は司法省法学校と合体して法科大学、最後に文学部は、文科大学に。以上、帝国大学は五つの分科大学の連合体になります。政治学と経済学を取り込んだ法科大学は巨大になり、文科大学はかなり貧弱になります。しかし、ここで重要なのは、西洋諸国と異なり、工科大学が理学部の何倍もの規模となって、帝国大学の核を形成することです。これは、後発の全帝国大学も同様でした。ここに、日本では理系=工学部という図式(イメージ)が出来上がるのです。そして、このイメージは戦後の経済復興の中で一層拡大していきます。イギリスの大学の専攻構成について脱線に次ぐ脱線をしてしまいました。イギリスに戻ります。イギリスの(伝統的)大学の専攻構成は、日本の(伝統的)大学のそれに比べて、文学部と理学部中心だと見えます。イギリスからみれば日本の大学は、工学部中心に、そして法学部と経済学部が異常に大きく映ります。日英で工学部と理学部の関係が逆転していることは既に述べましたので、繰り返しません。理系関係の専攻で見逃してならないのは、日本には農学部が農業国ではなににもかかわらず、異常に多いことです。イギリスには「農学」専攻というのはあまりありません。その代わり、Biology, Biochemistry, Zoology, Forestry, 等が理学部の中にあります。なんと日本の農学部には農業経済という立派な文系専攻があるのですよ。一方、日本の大学の法学部、経済学部、経営学部は、私立大学が学生定員のほとんどを占めています。そして、なぜかこれが「文系」に嵌められています。いいですか、皆さん、騙されてはいけません。これらの専攻は、理系の頭が必要です。法学部は、あえて言えば中性、中立でしょうか。でも、将来弁護士として成功をおさめたいのであれば、私は学部時代には数学など自然科学を勉強した方がいいと思います。イギリスでは、どんな学部を卒業しても、法律専門学校で1年勉強すれば、法学部卒と同等の扱いをされて弁護士コースのprofessional schoolに行けます。大手弁護士事務所への就職は理系出身者の方が好まれます。ところで、イギリスでは文学部出身者は就職に困るのでしょうか?日本と同様に、会社やビジネスの就職に対して、有利不利は全くありません。要は、日本の大学の文学部は(定員が)小さく、かつ専門分化しているので内部であまり競争が働かないのです。「自分は他人と違うんだ」という過剰な自意識によって、文学部学生はアイデンティティを支えている場合が多いので、会社やビジネスが(最初は)敬遠するだけです。これは文学部にとってもビジネスにとっても不幸なことです。以前、オクスフォードの英文学の先生と話した時、私は失礼にも「英文学科の学生の就職はどうですか?」と質問しました。その先生は笑いながら、「全く問題なし。100パーセント。」と即答しました。その理由は、「うちの学生が書く英語は他とは違うので引っ張りだこ」とのことでした。