tutorial制度について―日本のゼミとの違いイギリスの大学と日本の大学を比較したときに、最も大きな違いは、私はtutorial(supervisionともいう)にあると思います。私が学士課程でのイギリスの大学進学を勧める最大の理由もここにあります。総じて日本の大学にはtutorial制度が欠如しているのに対し、イギリスの大学の真骨頂はここにあります。さて、tutorialとは何でしょうか。形式的に見れば、これは先生一人に対して学生数名(オクスブリッジの場合は2名ないし4名、それ以外の大学の場合は6ないし8名程度)の対話形式による授業です。いわゆるマン・ツー・マン授業です。このように言うと、日本にはゼミがあるではないか、という反論がすぐ帰ってきます。しかし、ゼミとtutorialは全く違う制度です。あるいはまた、特に文学部では、少人数の授業が多いから同じではないか、という反論も聞こえてきます。しかし全く違います。イギリスの大学教育でもいわゆる授業(講義形式)は当然存在します。中にはかなり大人数、たとえば法学部では100名を超えるものもあります。但し、日本のように数百名規模の授業は存在しません。もしそのような大学がイギリスにあれば、そこには絶対に留学してはいけません。Tutorialは、その授業に対応して設けられているのです。たとえば、法学部でcontract(契約)という科目は必修科目ですが、必修科目には原則としてそれに対応するtutorialが設けられます。すなわち、contractの授業が100名規模で行われたとすると、tutorialはオクスブリッジでは50(2名1組の場合)、それ以外の大学では8名一組の場合、12(13)、設けられます。したがって毎週授業があるので(年間で20回程度)、毎週50ないし10のtutorialの授業が行われているわけです。必修科目は他にもありますから膨大な数のtutorialが各大学で設けられていることが想像できるでしょう。このシステムは法学部以外の文学部や経済学部、そして理系でも同様です。選択科目にはtutorialは無い場合があります。イギリスでは学校と塾が一体になっている日本でも最近かなり詳しい各授業のシラバスが事前に提示されるようになりました。イギリスのシラバスは1科目について一冊の本くらい(数十ページ)の分量があります。これに加えて、tutorialでは原則として毎週読んでくるべき課題図書、判例(法学部)、参考文献などが提示され、それをもとに先生から質問の矢が飛んできます。予習をさぼっていたら、大変です。さらに、essay(レポート)を毎週課され、毎週添削されます。もうおわかりでしょう。日本人の目から見れば、大学の中に塾がある、あるいは大学と塾が一体なのです。大学に入るまでの中等教育でも、イギリスでは学校と塾が一体です。日本もある意味では同じです。中学、高校そして大学でも(司法試験、公務員試験予備校)、みなさん、塾に通うでしょう。イギリスの大学の学費が高いのは当然です。日本の大学の学費は私立大学でも比較的低額ですが、塾やそれ以外の費用を加えれば、決して安くはありません。このように、イギリスの大学は同時に塾なのです。理系学部や医学部に関しては塾でラボを整えることはできないので、大学の中で日英とも完結しています。但し、イギリスでは必修授業に関してはtutorialがあります。日本の理系の学生と文系の学生の自由時間(ひまな時間)には決定的な差がありますね。理系の学生は、朝から晩(深夜)まで、指導教員の研究室(ラボ)に入りびたりで、昼食も夕食も、よく研究室の先輩方と一緒に食べに行ってます。だから日本の大学の理系は一定のレベルを保つことができているのです。そして、指導教員が就職まで面倒を見てくれます。もちろん、根本的には、理系分野はグローバル競争(戦争も)につねにさらされているという事情があります。授業とtutorialをセットでとらなければならないとすると、当然履修科目数は少なくなります。次に掲げるのは、ケンブリッジ大学経済学部の卒業までの試験科目です。ここから履修科目数も推測できますね。Tripos(ケンブリッジ大学では学部試験科目をトライポスと呼びます)Part IA: Microeconomic Principles and Problems; Macroeconomic Principles and Problems; Quantitative methods in economics; Political and social aspects of economics; British economic history(すべて必修)Part IB: Microeconomic Principles and Problems; Macroeconomic Principles and Problems; Theory and practice of econometrics I (以上必修); Mathematics and statics for economists(一科目選択必修)Part II: Dissertation; Microeconomic Principles and Problems; Macroeconomic Principles and Problems (以上必修);Economic theory and analysis; Industry(二科目選択必修)(それぞれ1,2,3年次の5~6月に試験がある)たったこれだけです。試験時間は各科目3時間。試験の評点(だけ)で卒業成績は決まります。Tutorialに出席したこと(出席点)は、考慮されません。出席が当然だからです。努力は報われないのです。試験結果だけが人生を決めます。私は、正装(ガウン)を着て試験に向かう学生たちを何度か見たことがありますが、みんな気合が入ってまるで出征兵士のようでした。それゆえ、試験が全部終了したときの彼らの解放感は想像できます。深夜までどんちゃん騒ぎをしてました。日本における文系の学問および教育の問題ということは、文系学部もラボ、すなわち塾を大学の中に取り込めばいいということか。「そのとおり!」と言いたいところですが、ここには日本における文系の学問および教育の最も深刻で困難な問題が潜んでいます。この問題の複雑さを如実に示す最近の事件がありました。それは法科大学院(日本型ロー・スクール)です。もう忘れたかもしれませんが、今からちょうど20年前(2004年)新しい法曹養成機関として鳴り物入りで法科大学院が設立されました。その目的は法の実務と乖離した大学教育を抜本的に改革することでした。これは大学の中にいわば塾をつくろうとするものでしたが、うまくいきませんでした。いまでは、法科大学院の半分が消滅し、残り半分も大半は定員割れです。そのうえ、法科大学院に行く前に自力で司法試験受験資格を獲得し、そのまま合格する学生(高校生も!)が続出しています。なんと、裁判所や大手弁護士事務所は法科大学院卒業者を採用したがりません。この「自力で」というところが、曲者なのです。自力で合格する人は、ほぼ全員、「本物の塾」に通って(あるいはオンライン)勉強しているのです。なぜ法科大学院ではだめかというと、司法試験と関係ない科目を教えているのです。また、弁護士になってもいないのに、なったあとの研修の予行演習もしています。皮肉なことに、司法試験改革の前の伝統的な司法試験の中には、口述(面接)試験があり、そこで、法律家としての資質も(若干ですが)テストできたのですが、新司法試験はペーパー試験一本です。法科大学院問題は決して例外的なケースではないと、私は考えています。要するに、日本の文系教育では何を必修にするかが決められないのです。法学部は職業教育と完全に切断できませんから、司法試験科目や公務員試験科目を無視できない。かといって、それだけ教える(tutorialも)わけにもいかない。したがって、試験対策で塾(予備校)に行く。東京ほど塾が発達していない地方では(たとえば、関西。関西の人に関西が地方というと殺されるかもしれませんが)、法科大学院が比較的うまく機能していると聞いています。文学部や経済学部どちらも資格試験に直結していませんので、法学部(法科大学院)のような悩みはありませんが、その反対に、科目がばらけすぎて(細分化しすぎて)、卒業時の学生の統一的な能力評価ができません。公認会計士などの資格試験とかなさる学科は法学部と同じ問題があります。最近、国家公務員試験(総合職)に「教養区分」というカテゴリーができて、これはなんと大学2年生の秋に受験できるようになりました。法律職や経済職とならぶ「教養区分(教養試験ではない)」という専門カテゴリーですから(意味不明ですね)、理系を含めて誰でも受験できます。時事問題への関心、英語力、推理力、(簡単な)数学的知識などが問われるようです。いずれにせよ、大学学士課程教育とは無縁なところでトレーニングすることになります。私は、日本の文系の学生の中に、本当によく勉強している人がいることは知っているつもりです。ただそれが、社会的に(客観的に)評価されることがないのはやはり問題だと思います。交換留学制度ではtutorialを履修できない私が大学における交換留学制度に対して批判的な理由は、まさにtutorialにあります。講義とtutorialをセットにして履修しなければならないイギリスの大学に、外国人が留学してくると、受入側は講義に対応したtutorialのクラスを余分に設けなければならなくなります。つまり、そのための教員を雇わなければならない。その費用は誰が負担するのでしょうか。日本側はこのような制度がありませんので、気楽に留学させますが、受け入れる側には大変な負担です。その結果、交換留学生が受講できる科目は、tutorialを伴わない科目、すなわち周辺科目だけとなります。仮に日本人学生に能力があっても、肝心の基本科目を学ぶことはできません。したがって、日本の大学生は退学して一からやり直すか、さもなければ、いわゆる学士入学(日本の大学を卒業後、イギリスの学士課程に入り直す)を選ぶしかありません。このようなことをする日本人はいない、と思われますか。いえ、それが最近増えてきています。嘘だとお思いならば、ロンドン大学(University College London, King’s College London)のFoundation course(大学入学準備コース)には現在毎年100名から200名程度の日本人が在籍しますが、その中には日本の大学を退学または休学して渡英している人が相当数います。私は、自分が本当にいきたかった志望大学に入学できた人は、すぐ退学あるいは「仮面浪人」せずに、まずそこを良い成績で卒業した上で、イギリスの大学の学士課程に進学すべきだと思います。イギリスの学士課程は原則3年ですが、学士入学の場合は原則2年で卒業できます。特にオクスブリッジに学士入学して卒業すると、正規に入学して3年間で卒業した学生と全く同じdegree(BA)がもらえます。オクスブリッジのdegreeについてここでオクスブリッジのdegreeについて一言説明します。オクスブリッジはほかのイギリスの大学と違い、いかなる専攻の学生も(文系も理系も)、一律に学士課程卒業者はBA(Bachelor of Arts)です。これが5年くらい経ち、いくらかお金を出すと(50ポンド?)、自動的にMA(Master of Arts)に昇格します。世界にはオクスブリッジの学位を持っている人がたくさんいますが、その中で本当に価値があるのは学部卒(MA)だけです。ただ、法学は少し変わっていて、オクスフォード(だけ)にはBCLという学位があります。これはBachelor of Civil Lawの略でBachelor of Common Lawの略ではありません。日本人は残念ながらこのBCLはとることができません。なぜか。それは自分で調べてみてください。このように、イギリスの大学では各科目の履修が講義とtutorialのセットになっていることが最大の特徴で、私の知る限り他の国にはありません。Tutorialには莫大な人件費がかかりますから、イギリスの大学の授業料が高いのも頷けるでしょう。