先生はローマ法の研究者としてスタートされたと聞きましたが、ローマ法の研究はもう止めたのですか。ローマ法の研究は助手論文を書いた後、長らくストップしていました。ところが3回目の長期留学(1999年9月-2000年8月)で復活しました。3回目の留学ではオックスフォード大学のBalliol Collegeのフェローfellowになることができました。ここで初めて私はCollegeおよびオックスフォード大学の正式のメンバーになることができたのです。今回はただで食事をすることができましたし、部屋ももらえました。そして、今度は法学部のいくつかの授業に出席しました。そのひとつがローマ法の授業です。教授は故 Peter Birks。教室はAll Souls Collegeのチーク材をふんだんに使ったすばらしい部屋でした。また、前から一度会ってみたいと思っていた故 Tony Honoreにディナーに招かれました。授業は面白かったですか。率直に言って、ほとんど何を言っているかわかりませんでした。それはひとえに私の不勉強によるものですが、一つ言い訳をすれば、ラテン語で書かれたローマ法のテキストを英語で、すなわちコモン・ローのタームで説明されても、コモン・ローの意味がわからないので、ちんぷんかんぷんでした。一つ例を挙げますと、iniuriaという概念があります。これを日本語のローマ法用語では人格権侵害といいます。コモン・ローではいろいろな用語で説明しますが、代表的なものとしてはdefamationとかlibel、あるいはまたcontemptなどがあります。今ではこれらの用語の意味はある程度分かりますが、最初にPeter Birksの授業を聞いたときは、恥ずかしながら全くついていけませんでした。彼は、いかにもイングランド人らしく小声で早口でしゃべるので、ちょっととっつきにくかったです。これからというときに癌でなくなってしまったのは、本当に残念でした。他にはどんな先生が印象的でしたか。まず、長年の友人David Ibbetson教授。彼は私とほぼ同年齢で、オックスフォードのMagdalen Collegeのフェローをしていた時からの知り合いで、ケンブリッジ大学のローマ法教授になってからは、毎年のように訪問していろいろ教えてもらいました。彼はコモン・ローにも造詣が深く、というかむしろコモン・ロイヤーとして有名であり、私は彼に本当に多くのことをただで教えてもらいました。次に挙げるとすれば、上で述べたTony Honore先生です。合計3回私は先生に面談しました。97歳で亡くなる直前まで本当にお元気で、機関銃のように喋って教えてくれました。それから、Birks先生の後任のSirks先生やErnst先生にも、何かわからないことがあるたびに、訪問して尋ねてきました。そして、TOPSでも教えてくださっているグラスゴー大学のErnest Metzger教授。彼はアメリカ人で、最初は古典学を学び、ロー・スクールで勉強するうちにローマ法に興味を持ち、上述のPeter Birksのところで博士論文を書きました。民事訴訟法の専門家です。彼はコモン・ローのローマ法学者としては珍しく、純粋に古代ローマ法に関心があります。アメリカのロー・スクールでローマ法など教えるのですか。アメリカは、コモン・ローの国ではないですか。違います。アメリカはコモン・ローの国とは言い切れません。よく歴史を勉強してみてください。アメリカはもともとどこの植民地でしたか。イギリスだけではないでしょう。上に述べたMetzger教授はSMU(Southern Methodist University)のロー・スクールで勉強しました。SMUはテキサス州ダラスにあり、テキサス州はもとスペインの植民地です。独立国だった時もあります(Lone star)。このSMUにはJoe Mcknight(1925-2015)という非常に優れた法制史家がいたのです。このように私はローマ法をコモン・ローの国で学ぶことを通じて、両法系の交錯混合現象に興味をもつようになり、いわゆる混合法地域Mixed Legal Systemを訪れました。混合法地域とはどこですか。イギリスの北にあるスコットランド、南アフリカ、アメリカ合衆国南部にあるテキサスやルイジアナなどです。食事やワインもおいしく非常にエキサイティングなところです。テキサスやルイジアナのジャズやブルースも最高ですね。冒頭に述べたEric Claptonが魅せられてその生涯をささげることになった音楽のルーツがここにあったのです。これで話がつながりましたね。