なぜTOPSでは、ギリシア語やラテン語のような日本では馴染みのない科目を教えるのですか。TOPSではギリシア語やラテン語そのものを教えるのではなく、ギリシア語やラテン語で書かれた作品を英語訳で学びます。日本では、上に述べましたように、翻訳が非常に重要視されるのですが、大学で研究教育する場合には翻訳を使うことを先生は勧めないばかりか、それを戒めたり禁止したりします。それは矛盾していますね。その通りです。大学入試で英語を入試科目に必ず課し、その内容はもっぱら翻訳なのですが(最近は確かに変わってきました)、いったん入学したら、英語は用いる機会がほとんどないか、あるいは英文科ないしイギリス史、イギリス哲学専攻では翻訳を使うことを先生は禁止します。本当に矛盾していますよね。でもこれは同じことの両面なのです。つまり、一方では日本の大学教育は明治以来翻訳を通じてなされ、他方では専門家(大学教授など)は必ず原典を用います。しかし、専門家は原典の日本語による解釈と翻訳を論文にまとめ、論文の価値はその解釈の妥当性によって評価されます。評価するといっても、日本語で書かれた論文ですから、外国人は評価できません。こうして一方で原典主義がはびこると同時に、他方で学問の完全な鎖国化(ガラパゴス化)が成立したのです。まして、ギリシア語やラテン語は英独仏の近代語に比べて難しい言語ですので、専門家は原典にこだわります。そのこと自体は学問として当然のことですが、TOPSは、専門家養成を目的にしておりませんので、まず翻訳をできるだけ幅広く読むことをモットーにしています。それを通じて、ギリシア語やラテン語に関心をもつ生徒が出てくればそれは望外の幸せです。英語の作品を読むのであれば、古代ギリシアやローマの作品を読まずともシェークスピア以降とくに近代の文学・歴史・哲学でも良いのではないですか。そうですね。確かにそうかもしれません。しかし、ここでそもそも古典学が学問としてもっている最も重要な特徴について触れなければいけません。それを考えるときに、比較の対象として、数学を考えてください。なぜ数学が重要なのですか。数学が重要でないという人は一人もいませんよね。それは数学がほかの学問、たとえば物理学や化学や論理学の基礎であるからです。それと同様に、古典学はほかのさまざまな学問の基礎だからです。たとえば、一番わかりやすい例を挙げると、哲学です。西洋の哲学に関する限り、その起源は古代ギリシアにあり、デカルト、ロック、カント、ヘーゲルから、フーコーやデリダに至るまで、全員プラトンやアリストテレスを読んで、その思想と格闘しました。もう一つ例を挙げると、ホメロスです。ホメロス作といわれる叙事詩『イリアス』『オデュッセイア』は、ローマの詩人ウェルギリウス『アエネーイス』を生み、またダンテ『神曲』、さらにはルネッサンス以降のヨーロッパ文学すべてに影響を及ぼしたといっても過言ではありません。20世紀の最高傑作といわれるジェームズ・ジョイスの『ユリシーズ』のタイトルはオデュッセウスのラテン語名です。さらに、政治学や法学は、ギリシアやローマが基礎になっていることは、もう説明する必要はないですね。古典学が数学と同じくらい重要ならば、どうして日本は明治時代に輸入して研究しなかったのですか。第一の理由は、自然科学中心の輸入だったからです。大砲や軍艦を造り、産業を興すためには工学や農学が重要であり、傷ついた兵士を治療するためには医学が必要でした(森鴎外)。そのためには数学は不可欠でした。日本で最初の数学教授菊池大麓(1855-1917)は、幼少のころロンドンに行き、ケンブリッジ大学St John‘s Collegeで数学を学びました。これに対して人文科学は、古典学にまで遡ることなく、当時の流行を追い、言語も現地語vernacular(英語、フランス語、ドイツ語)を習得し、旧制中学や高校で教えました。ただ、興味深いことに、この実用主義の結果として、ラテン語が医学部と法学部で教えられたのです。最近まで医学部ではラテン語が教えられていたと聞いたことがあります。一方、ギリシア語は哲学の分野では非常に重要視されました。日本の西洋古典学をリードしてきたのは、哲学だといってもあながち的外れではないでしょう。あの夏目漱石も、学生時代、ケーベル先生(Raphael von Koeber1848-1923)の授業に出ていました。現在では古典学はどんな状況ですか。今でこそ、大学で古典学を専攻する学生は激減しましたが、オクスフォード大学では、毎年120名、ケンブリッジ大学では80名、合計200名の学生が現在でも古典学を修得して卒業していきます。両大学の入学定員は3000名x2=6000名ですから、わずかといえばわずかです。しかし、両大学の法学専攻の学生は合計450名程度ですから、古典学専攻はその半分弱、それなりの数だといえます。さらに忘れてならないのは、オクスフォード大学で非常に人気のあるPPEというコース(Philosophy, Politics, Economics)およびケンブリッジ大学で非常に人気のあるHSPS(Human, Social and Political Sciences)のコースには必ずギリシア・ローマの哲学や歴史が登場しますので、これらを加えますと古典学の位置は重要です。さらに、両大学の法学部ではローマ法が必修ですので、これもまた古典学の一部だと考えることができます。ビジネスや実際の社会では、古典学は関係ないのではないですか。いえ、大いに関係あります。最近のイギリスの首相の中にボリス・ジョンソンという人物がいたのを覚えていますか。彼はオクスフォード大学で古典学を専攻しました。また、イギリスのエリート官僚、外交官、シティのビジネスマン、コンサルタントなどの中には、学生時代古典学を専攻した人は決して珍しくはありません。他方、絵画、音楽など芸術の世界あるいは建築においては、古代ギリシア・ローマの神話や建築物に関係があるものは非常に多いです。西洋人とつきあう場合、さらに西洋で教育を受けたアジア・アフリカの人々と付き合う場合、古典の知識は思わぬ威力を発揮いたします。