なぜパブリック・スクールは私立なのですか。またパブリック・スクールとグラマー・スクールgrammar schoolは異なるのですか。パブリック・スクールもグラマー・スクールも、いわばイギリス教育の(いい面の)象徴のように、日本では受け取られていますので、避けて通れませんね。しかし、イギリスの学校あるいは教育制度を語ることは、イギリスの社会や歴史を語ることと同じくらい難しいので、要点だけ述べます。まず踏まえておいてほしいのは、両者ともに、法律ないし制度上の概念ではないので、定義は難しい。歴史上、慣習上の、あえて言えば、「固有名詞」のようなものです。英語、特にイギリス英語には同じような言葉が多いですね。この言葉も、人名や都市名のような固有名詞ではないのですが、かといって、抽象的な概念でも法制度上の用語でもない。「いわゆる」パブリリック・スクール、「いわゆる」グラマー・スクールと言った方が無難です。この「いわゆる」というのが、外人である日本人には謎で、厄介です。この謎を解明する(完全にはできませんが)方法は二つ。一つはその学校の歴史を調べること。もう一つは、通わせている保護者(親ないしガーディアンなど)に尋ねること。後者は言う人によって内容が異なることがありますが、それでいいのです。それが「イギリス」です。パブリック・スクールは最初にWinchester College(1382年)、続いてEton College(1440年)が主として貴族(すなわち地主)の子弟を教育するために創設されました。日本史でいえば、南北朝ないし室町時代です。なぜそれがパブリックかといえば、それまでは王族であれ貴族であれ、個人的(private)な家庭教師によって教育されていました。それに対してパブリック・スクールはパブリックに開かれた教育機関だったのです。日本語でパブリックを「公」と訳すと「公儀」あるいは「お上」を意味してしまい、パブリック・スクールは公立あるいは国立の学校と理解されてしまいます。このパブリックという言葉は安易に日本語に翻訳することはできません。パブリック・スクールの教育目的は聖職者、軍人、学者の養成であり、Winchester CollegeからはオックスフォードのNew College(1379年)に、Eton CollegeからケンブリッジのKing’s College(1441年)に進学するルートが確立していました。19世紀、大英帝国が世界に領土を広げ、有力者の子弟は親元を離れてイギリス本国で教育を受けるようになり、パブリック・スクールは飛躍的に発展しました。男子全寮制が原則ですが、現在この原則を維持しているパブリック・スクールは本当にわずかとなりました。日本人でパブリック・スクールにおける教育を体験した池田潔著『自由と規律』(岩波新書、1949年)を読むことをお勧めします。グラマー・スクールとはどのような学校ですか。グラマー・スクールは文字通り、もともとは、文法を教える学校です。ここでの文法はギリシア語とラテン語です。たとえばわたくしの母校であるBristol大学が正式に大学として勅許状Royal Charterを付与されたのは1909年のことですが、大学に隣接するBristol Grammar Schoolはなんと1532年(あの)ヘンリー8世の勅許状によって創設されています。ちょうどイギリスにルネサンスの影響が及んだ頃です。当時、大学はオックスブリッジだけ(ただし、スコットランドには3つありました)で、最近までは男子校でした。現在は、完全なIndependent School、つまり国や地方公共団体からの援助ない学校です。その授業料がどれくらい高いかは、ホームページを見てください。しかし、その長い歴史の中で、国が財政的に援助した時期もありました。特に歴史上有名なのは、1945年から1976年の間存在した、direct grant grammar schoolと呼ばれる学校です。Bristol Grammar Schoolもその一つでしたが、1979年にindependentになりました。このdirect grant grammar schoolというのはいわゆる「イレブン・プラス」Eleven Plusの問題と密接に絡んでいます。かつてイギリスでは5歳から始まる初等教育(6年間)の終了時に、統一国家試験が課され、これに合格した者だけが大学教育につながるアカデミックな中等教育を受けることができました。この試験に落ちた者または受けなかった者は、いわゆる職業訓練的あるいは実務的な学校に進学しました。この統一国家試験は11歳で受けることから、「イレブン・プラス」と呼ばれました。これによって、アカデミックな中等教育学校として、グラマー・スクールが位置付けられたのです。日本の旧制中学あるいはドイツのギムナジウムなどに相当するといえます。11歳で人生を、あるいは職業を決定してしまう試験として「イレブン・プラス」は批判され、廃止されました。(現実には類似のものが残っています。)最近の日本で過熱する中学受験もこれに似た側面があります。確かに、「イレブン・プラス」制度には批判すべき点がありますが、私は長所もあったと思います。それは、「イレブン・プラス」試験に合格した者は、たとえ家庭が貧しくて親が教育を受けていなくとも、授業料のかからないdirect grant grammar schoolに進学して、数学や物理学はもちろんのこと、ギリシア語やラテン語のようなアカデミックな科目を良質な教育環境で受けることができたからです。実際、私がイギリスで出会った古典学の先生方の中には国立グラマー・スクール出身者が何名かいました。また、パブリック・スクール出身の先生もいました。両者の雰囲気は本当に異なり、それを感じるだけでもイギリスの教育が少しわかったような気がします。どちらの出身の先生も、非常に個性的で、すばらしい先生でした。このdirect grant grammar schoolを廃止したのは、保守党政権ではなく、労働党政権でした。「平等」の名のもとに。彼らは、国の財政援助を打ち切り、地方公共団体が援助するcomprehensive schoolか、さもなくば、independent 、この二者択一を迫ったのです。Bristol Grammar Schoolを含めて大多数は後者の道を選びました。その結果現在では受講者の少ないアカデミックな科目たとえばギリシア語やラテン語を教える学校はほとんどindependent schoolに限られています。ところが、現在でも例外はあります。たとえば、Royal Colchester Grammar Schoolは、Essex州が全面的に財政補助をして、ギリシア語・ラテン語を教えています。また、最近ではロンドンの貧しい人が住む地区に、公立の、一種のスーパー・サイエンス・スクール的な学校が出来ました。この学校では、数学やコンピューター・サイエンスのほか、ギリシア語やラテン語も教えています。さすがイギリスですね。現在でも私は、このようなindependentでない、アカデミックな学校が日本にも増えることを心から望んでいます。日本にも国立ないし公立の非常にアカデミックな中学・高校がありますので、その点はすばらしいと思います。ただし、その学校に入るための教育に多額の費用がかかることも事実です。パブリック・スクールとグラマー・スクールについては大分イメージができてきましたが、これらは日本でいえば中高一貫校にあたりますか。いえ、まったく違います。確かに年齢的には12歳から18歳位までの生徒が中心ですが、早ければ4歳の子供から受け入れています。また前者は、寄宿舎を有していますが、後者は有していないのが普通だと思います。つまり、重要なことはイギリスではGCSEとA Levelという国家資格試験であり、何歳から何歳までという年齢や何年在籍したかということは問題ではありません。